子なし駐妻の徒然草

カリフォルニアで暮らす子なし駐妻の日々の記録

祖母からの呪いの言葉(前編)

こんにちは。
私のつたないブログを見てくださり、ありがとうございます。


さて、表題の件ですが…「呪いの言葉」ってなかなかのインパクトですよね((+_+))
ですが、私にはどうしてもそうとしか受け取れず…
そちらについて、今日は書いていきたいと思います。


※注意※
ここから先は子供の話になります。
祖母の固定概念について、読んでいて不快にさせる方がいたらすいません。


私の祖母(母方)は御年91歳。まだまだ元気です。
私の母は8年前に他界しています。
母は三人兄弟ですが、母を除く2人の兄妹は結婚するも子供は望まない同士だったので
孫は私と私の兄弟だけでした。


その中でも唯一女だった私。
昔からそれはそれは可愛がられ、蝶よ花よともてはやされ
そこまでは良かったんです。


ただ、祖母は超昭和世代の人間なので、私が成人するころから
「早く結婚しろ、子供を産むべき」という事を、常々言ってきました。
私は仕事が大好きだったので、「今の時代は女の人も手に職をつけないと!」と
資格の勉強をしたりして、何気に反抗していました。
当時は仕事に夢中で恋愛にも縁遠く、結婚どころか彼氏もいませんでした。


それでも、どうしても私に子供を産んで欲しいと思った祖母。
「女の幸せは結婚して、子供を産むこと。
 いくらいい仕事をしていても、子供を産まなければ~~~~」
みたいなことを会うたびに言ってきて、「またか…」と思いつつ
「良い人がいれば結婚もするし、子供も欲しいよ~」と流していました。


そんなある日、私宛に祖母から手紙が届きます。
中には新聞記事の切り抜きとと祖母の字で「この記事を読んで欲しい」と一言メモが。
新聞記事のタイトルは
「25歳までに子供は産むべき!高齢出産のリスクについて」
※タイトルはうろ覚えですが、こんな感じでした。


当時28歳だった私。子供どころか、彼氏もいない時期でした。
「子供を産むことがそんなにえらいのか!?」と
なんだかもうれつに腹が立って、
手紙と新聞記事をぐしゃぐしゃに丸めて捨ててやりました。


祖母にはしっかりお灸をすえて、それから祖母は私に子供の話はしなくなりました。
(こんな手紙送ってくるなら、もう二度と会いに行かないから!と電話しました)


そして時は流れ、2019年。
私はようやく素敵な男性と出会い、結婚することに。
もちろん祖母は大喜び。
「あんたはいい人をつかまえたね」と言われ、
ようやく祖母に花嫁姿を見せられると、私も嬉しく思っていました。


その後コロナが蔓延し、結婚式は延期に延期を重ね、ようやく2022年に挙式できました。
アメリカで結婚生活をスタートさせた私は、自分の年齢のことも気にしていて、
子供について真剣に考えるようになり、アメリカでの不妊治療に踏み切りました。
結婚式は日本で行ったので、一旦治療はお休み期間でした。


祖母に結婚式の招待状を渡すために、久しぶりに会った時、
祖母にぽつりと言われたんです。
「もう…あんたの年齢やったら赤ちゃんは産まれへんやろうね…」


なんでしょうね。
言葉がでてきませんでした。
子供ってそんなに大事なの?
結婚しても、子供を産まなければ、あなたは満足してくれないの?
私、一言でも「子供はいらない」って言った事あったかな?
若いときは「欲しいけど、まずは相手探しかな~」って言ってたよね?
確かにもう若くはないけど、子供が産めない年齢でもないよ!


いっぱい思う事はあったけど、もう私からは何も言えませんでした。
「もう…あんたの年齢やったら赤ちゃんは産まれへんやろうね…」
この言葉が「呪いの言葉」の様に、私の心に重く、そして深く刻まれたのでした。


★書いてて気分が落ち込みそうなので、今日はここまで★
また後編は近日中にアップします。